〜歴代GM & 校長からのメッセージ〜
沢山のアナウンサーを生んだ軌跡
初代〔1999-2002〕テレビ朝日アスクGM/石橋 幸治
■テレビ朝日アスクの発足当時は…
15年前の7月(1999年7月)、アスクのスタート場所は、テレビ朝日の関連事業部の部屋の片隅に向い合せに置かれた二つの机でした。会社は発足しましたが、メンバーはテレビ朝日から出向の長英太郎代表、飯野勝常務、それと肩書の決まっていない私の3人だけ。飯野さんは残務整理や引き継ぎがあり、前職場で仕事をしていました。まだ校舎の場所、募集人数、受講料も決まっておらず、ただ10月に開校するということだけが決まっていました。まずは不動産物件探しからスタート。渋谷駅近くの大きなビルのワンフロアー、青山骨董通りのビルなども見て回りましたが、結局、南青山の住宅地の中の三階建のこぢんまりしたビルに決め、確か9月初めから突貫工事で改装を始め、10月の開校にこぎつけました。

南青山のテレビ朝日アスクの校舎(2000年当時)

授業中の石橋幸治さんの授業(2000年当時)
その間、パンフレットやカリキュラムの作成、講師の手配などで、あっという間に月日が過ぎていった記憶があります。人手がないので業者に業務委託しての募集開始でしたが、テレビ朝日が番組内で募集告知をしてくれたおかげで、10月開講予定クラスすべてが募集人員を上回るという素晴らしいスタートをすることができました。この時に入学を希望したが叶わなかった方にはお詫びしなければなりません。
■基礎を大切にする指導は15年前からです
私が一番神経を使ったのがカリキュラムです。作成に当たっては自分が学生時代にかなり長い間アナウンサースクールに通いながら大きな欠陥を持ったまま入社し、大変苦労した経験が大きく役に立ちました。簡単に言えば、間違った口の開け方のまま発声発音練習をしていたために滑舌がかなり悪くなり、直すのに大変苦労したということです。そしてその口の開け方の間違いは、一切スクールでは指摘されたことがなかったのです。ゆえにアスクでは基礎科の時に正しい口の開け方をしっかり教えようと心掛けました。
アスクは基礎的なことにかなり厳しいと思いますが、それが一番大切なことだからです。この精神は今も続いていると思います。また就職セミナーではより実践的なカリキュラムを取り入れました。
具体的にはVTRトーク、模擬面接、模擬カメラテストなどですが、当時としてはかなり難易度が高いものだったと思います。当時のアスク生からはあまりに難しすぎて「電車がアスクに近づくと緊張してくる」という声が聞かれたほどです。
また、近くの神宮球場での野球実況講座もアナウンサースクールでは初めての試みでした。この実況講座からはかなりの数のアナウンサーが生まれています。
■寝食を忘れて指導
悪戦苦闘・試行錯誤・孤軍奮闘しているうちに就職試験シーズンが迫り、エントリーシートの指導、写真の選択など受験生の対応に追われ、文字通り寝食を忘れるという状況になり、半年で7キロも痩せるという事態になりました。ただその体重がちょうど適正体重だったので、結果的には良かったのですが…。
■合格者が出た!!
そして迎えたアナウンサー採用試験。フジテレビと日本テレビから始まったのですが、いいところまで進みながらアスクから合格者は出ませんでした。もしかするとキー局はダメなのかという思いが頭によぎり出したころ、TBSに藤森祥平君が内定し、思わず涙がこぼれたのをよく覚えています。続いてテレビ朝日に村上祐子さんと河野明子さん(現巨人の井端弘和選手夫人)が内定し、初年度で合計20人を超える合格者を送り出すことができました。

村上祐子アナと河野明子さん(2000年当時)
その後、TBSやフジテレビが相次いでアナウンサースクールを開校し、生徒の奪い合いのような状況もありました。今、アスクが15周年を迎え、アナウンサースクールとして授業内容、受講生の数、合格実績ともに素晴らしい結果を残していることは喜ばしい限りです。
私はアスクで3年を過ごした後はアナウンス部で専任デスクをやり、その後は他部署での責任者として、また関連会社での役員としての職務を経験し、忙しくて講師としてアスクへ来ることもできませんでした。しかし、ようやく余裕のある職務となったこの3年は講師を務めさせていただいています。今後もアスクの益々の発展の一助となれれば幸甚です。
熱血指導!でサバイバル
2代目〔2002-2004〕テレビ朝日アスクGM/松苗 慎一郎
■半年で11キロも痩せた…

松苗 慎一郎(左:着任直後 右:着任4ヵ月)
テレビ朝日アスク15周年おめでとうございます。石橋さんの後任として2代目GMを務めた松苗です。
テレビ朝日アナウンス部のチーフデスクだった2002年。社内外との交渉事や、アナウンサーのシフト作成を担当する日々でしたが、当時アナウンス部長だった堀越さん(現アスク社長)から「アスクに出向してください」と辞令をもらい、「おっ、来たか!」という気持ちで、たっぷり夏休みを取得してからアスクに着任しました。「石橋さんが道筋をつけてくれたから多少は楽だろう」などという甘い考えはまったく通用しませんでした。石橋さんは寝食を忘れ半年で7キロやせたと振り返っていましたが、私も半年で11キロもやせたのですから。
■他局スクールが続々開校…
当時アスクのあとを追うように開校した他局のアナウンススクールとの競争は激烈で、限られた数のアナウンサー志望者の奪い合いとなっていました。生徒数は減少し、開講できない講座がいくつも。今では考えられません。その都度、既に申し込んでくれていた学生に頭を下げて、他の日程の講座への移動をお願いしなくてはなりませんでした。そのとき考えたのは、「今、目の前にいる生徒をとことん大事にしよう!」ということです。
■受講生を大事に指導
いくつもあるスクールの中からアスクを選んでくれた学生はまさに「掌中の珠」だったのです。当たり前のことですが、どのアナウンス講座でも私自身が最低でも1回は講師を務めて、生徒の実力を把握し、無料で補講も行いました。どんなに厳しい指摘を受けてもへこたれず、食らいついてくる生徒は確かに伸びました。
生徒との思い出は数限り無くあります。毎週末、深夜バスに乗って大阪から上京、アスクの玄関が開くまで漫画喫茶でひたすら待ち、授業の後はバスの時間まで自習を続けた女性は関西の準キー局に入りました。真夏の白昼に青山墓地近くの道路工事現場を通りかかったとき、「先生!」という声がして振り向くと、そこにヘルメットを被り、手にはスコップ、額から汗をたっぷり流している生徒がいたこともありました。「アスクの授業料を稼いでいるんです!」と笑顔で報告する彼の姿に、思わず胸が一杯になったのが昨日のことのようです。
■なんでもしました

松苗 慎一郎(2002年)
石橋さんもそうでしたが、経理以外のことはすべてこなしました。一時、アスクマネージメントのマネージャーが不在になってしまい、マネージャーも兼務しました。声優科の生徒を連れて映画の吹き替えのオーディション会場に引率したり、台本を受け取りに映画会社に足を運んだり、アテレコの現場に立ち会ったり…。まったく未知の世界に触れ、毎日がドキドキでした。アナウンサー志望の生徒だけでなく、他のコースの生徒(中には60代、70代の人もいました)と酒を酌み交わしつつ、夢を熱く語り合ったことは間違いなく貴重な経験でした。
生徒数が増えず、会社としてのアスクの業績が伸びなかったときは正直、辛かったです。ただ、当時の社長だった長さんが私の好きなようにさせてくれたことは、今から思えばありがたいことでした。
アナウンス、声優という、車の両輪とも言えるコース以外に看板となる講座が必要!と考えた私は、ちょっとした思いつきで「シナリオライター養成講座」なるものを立ち上げました。他にいいアイディアがなく、苦し紛れだったかもしれませんが、長さんが了解してくれて、多少高めの授業料であるにもかかわらず、社会人を中心にそれなりの人数の受講者が集まりました。設立に尽力をいただいた放送作家協会幹部の方の紹介もあり、初回の講義の特別講師を、あの市川森一さんが破格の(ささやかな)謝礼で引き受けてくださいました。当時のアスクの地下にあった大教室に市川さんが入ったとき、一瞬の静寂の後で聞こえた「おっ、おー」という受講者の感激の声はずっと耳に残っています。当時開講していた「ゴスペル教室」のクリスマスライブを、テレ朝本社内にあるイベントスペースで開催したことも大切な思い出ですし、当時は苦しかったことも今になってはすべてが財産です。
私は2004年にアナウンス部に帰任しました。戻ったとたんに減量分11キロもぴったり戻ってしまったのにはちょっとがっかりしました。
アスクの生徒に対しては、「ひとりひとりが特別」という思いで接しました。 人ひとりの人生に寄り添うという責任を感じる、緊張感に満ちた2年でした。もちろん、「もっとやれたはず」という後悔を抱く部分もありますが、本当に多くの人と知り合い、支えてもらい、ときにはちょっと支え、泣いて、笑った2年間。アスクの生徒、講師、スタッフの皆さんに心からお礼を申し上げるとともに、ますますのご発展をお祈りします。
私はいつまでもアスクの応援団です。
チラシ配りは難しい!
3代目テレビ朝日アスクGM〔2004-2006〕/藤井 暁
■1人でも多くアナウンサーを誕生させるには…
アスク開校15周年おめでとうございます。改めて時の流れの早さを感じます。3代目のGMを務めた藤井暁です。
アスクの指導・運営に携わったのが、今からちょうど10年前の、2004年6月。石橋さん、松苗さんの先輩2人を手本に、基本方針、指導方法などを受け継ぎました。ひとつ大きく違ったのは、私の時からアナウンス部に在籍したままの“現職出向”という形になったこと。これは『テレビ朝日の現役アナウンサーが責任指導』という、アスクの特色を全面的に打ち出すためのものでした。授業内容、指導の質は他局のスクールには、絶対負けないという自負もありました。より多くの志望者を迎え入れ、1人でも多くアナウンサーを誕生させるにはどうすればいいのか、常に模索し続けた2年間でした。

授業中の藤井 暁さん(2004年)
■街頭インタビューより難しかった!
開校から丸5年という節目に、GMとして最初に取り組んだのは新しいパンフレットの作成。しかし、まったく美術センスを持ち合わせなかった私に、限られた制作費で最高の効果を上げるためにできることと言えば…。絶対に自分1人で進めてはいけないということ。デザインなどに造詣の深い「声優クラス」の先生や、パソコンに精通したアスクスタッフの強力なサポートなくして、完成にこぎつけることはできませんでした。
チラシを刷って外苑前や表参道、渋谷近辺で配布したこともありました。結果は惨憺たるものでした。街頭インタビューの難しさは知っているつもりでしたが、こんなにも道往く人が“ビラ配り”に対して冷淡なのかと思い知らされ、打ちひしがれました。
とにかくアスクの良さ、魅力をもっと大勢の人に伝えたくて、大学のアナ研や放研を対象にした無料出前レッスンも企画しました。アナウンサー志望者の多いサークルにとっては、魅力的な企画と受け止めてもらえたのか、東京近郊だけではなく、関西の大学にも何度か足を運び“アスクの扉”を開いてもらうきっかけになりました。
■教材を工夫!現役力士も登場!
もちろんこういった営業面の取組みだけではありません。生徒達への指導でも地道に、大胆に取り組んだつもりです。授業内容のさらなる充実を目指し、アナウンサー試験にも対応した実践的なカリキュラムを増やすよう心掛けました。各局の面接やカメラテストでも使われていた、写真パネルやVTR映像、身近な品物などをより幅広く授業に取り込み、フリートークのバリエーションを増やしました。
当時存在したアナウンサークラス最上級の「プロ専科」の授業では、こんなこともありました。とある現役力士にインタビュー番組のゲスト役として来てもらい、何人もの生徒達が入れ替わり立ち替わり延々と質問をし続けたのです。しかしこの関取は嫌な顔ひとつせず、陽気に話し続けてくれました。彼女達の真剣さと熱意が伝わったのでしょう。通常の授業ではゲスト役とインタビュアーを、生徒が交代で務めるので、サプライズゲストに来てもらったのは初めてでした。本物に触れる機会を増やし、経験を積むことを目的とした授業は成功だったと思います。このクラスの生徒は、8人中4人がアナウンサーへの夢を叶えてくれました。
私が2年目を迎える時に、創立以来7年近くアスクを牽引して下さった長さんから牧野さんへと代表が引き継がれました。そして開校以来続いている「声優クラス」、「ナレーションクラス」に加えて「俳優クラス」も新設されました。
「俳優クラス」のオーディションには10代から70代まで、まさに老若男女の参加がありました。アナウンサー志望者とはまったく違う皆さんでしたが、キラキラした目の輝きと、意志の強さを感じさせる人たちが選ばれるという点では、大きな差はなかったように思います。卒業制作ではオリジナルドラマにも挑戦しましたが、時間も労力も甚大だということで、残念ながらその後クラスが継続されることはありませんでした。今振り返ると、お芝居の指導はできないものの、それ以外の部分で何かもっと役に立てたのではないかと残念でなりません。
『テレビ朝日アスクのゼネラルマネージャーは必ず痩せる』この現象を我々は『アスクダイエット』と呼んでいました。先輩ほどではないものの、私も5kgスリムになりました。満足に食事を摂る間もなく、生徒達に向き合ったこの2年間。本当に充実した時間でした。発声やニュース読み、フリートークなどを教えることで、逆に生徒達から多くのことを学びました。今も日本中で頑張っている、東京で活躍している、仕事を離れ幸せな結婚生活を送っている、そんな当時の教え子たちみんなに感謝の気持ちは尽きません。アスクで出会った皆様、ありがとうございました!これからもアスクを熱烈に応援致します!!
「鬼だった」かも!
初代テレビ朝日アスク校長〔2006-2008〕/川瀬 眞由美
■充実した時間でした…
アナウンス部からの4代目で、アスクに来ても痩せなかった唯一のスタッフ、川瀬眞由美です。 堀越むつ子大先輩の教え「寝るか食べるか、どちらかができれば大概のことは大丈夫!」を、鉄の胃袋の片手メシで忠実に守っていました。 ……で、大概のことは大丈夫でした。 いえ、ワタシの人生で最も充実していたのはアスクでの時間だったと思います。

授業中の川瀬 眞由美さん(2007年)
ワタシの肩書きは「校長」でした。 当時の社長が「お前は生徒たちと授業内容の責任者だ。会社の経営にチカラを割いてもらうのではなく、学校の運営を任せたい」と決めたからなんです。 突然、「コーチョーセンセー!」と呼ばれるようになったワタシは、自分が成すべきことに毎日めちゃめちゃ迷いながらも、生徒達の母にして、鬼コーチであり、一番身近で甘えられて、一番怖いけど頼りになる存在でありたいと突っ走り続けていました。
■電車で「コウチョウセンセー!」
マジで24時間体制でしたので、地下鉄の中で「校長先生?」と声をかけられて 「わっ!疲れた顔を見られちゃった!」と笑顔を取り繕って振り返ったら、 「名札が付いたままですよ」と見知らぬ女性に微笑まれて脱力したこともありました。

この名札を電車の中まで…
泣きながら電話をかけてきた人、終電まで語り合った人、輝く笑顔を見せてくれた人、地道な努力を続けた人、心が折れても負けなかった人…。 当時の生徒達が今それぞれに輝いている姿に接すると、誇らしいです。 それは、放送業界に携わっている方に対してだけでなく、違う形で自分にひたむきであり続けている全ての“ワタシの大事な子供達”に対しての気持ちです。
■「幸せ願い」鬼だったかも!
なんて、かっこいいことを書いていますが、振り返ってみると、鬼の側面の方が明らかに強かったです。 ご一緒した皆さん、ごめんなさい。よく頑張ったね。あのキツさに耐えたのだから、何があっても大丈夫だよ。コーチョーも少しは優しくなったから、何かあったら連絡しておいで。どんな仕事について、どんな暮らしをしていても、あなたが ただ幸せでいてくれることだけを願っているよ。

就職セミナー受講生の加藤真輝子アナ(2007年9月当時)
■アスクはともに成長する場です
アスクって、生徒と講師とスタッフが、たくさんの思いを共有することで、一緒に成長できる場なんです。 共感もあれば反発もあり、どっぷり同化することもあればシビアに俯瞰することもある。そんな濃くて熱い時間を共有できるのが、このスクールの一番大きな魅力だと実感しています。 あえて言うならアナクロだしスポ根ですが、何事もライトで当たり障りない関係性が好まれる現代の中では貴重な存在なのかも。
■頑張ったら良いことあるよ!
悩み抜くことってその時は辛いけど、自分を褒めてあげたい経験と自信に いつか必ず変わります。だから、今悩みながらアスクに通っている人にも、将来について迷っている人にも、心からのエールを送ります。 運もあれば縁もあるけど、頑張った人にはきっといいことがあるはずです。 アスクに来たから、素直にそう思えるようになりました。
20世紀の終盤に開校したアスクが、これからの社会や放送を担うたくましい人間を送り出し続けていることを思うと、とてもとても幸せな気持ちになります。 アスクに通ってくださった全ての皆さんにとって、なんらかのきっかけになってくれたのであれば、こんなに嬉しいことはありません。
アスク開校15周年に、心からのおめでとう & ありがとう。
熱血!先生スタート
2代目テレビ朝日アスク校長〔2008-2010〕/松井 康真
■今の時代に合わないことはしない積り…
2008年4月に川瀬さんから引き継いだ2代目学校長です。自分が四半世紀前の大学生時代にアナウンス学校に通いつめていたこともあり、ついつい、入れ込んでしまいそう。「今の時代に合わないことはしない」と心に誓っていましたが、果たしてどうだったんでしょうか?

授業中の松井 康真さん
■皆が一層美しく撮れます
私がまず取り組んだハード面が撮影スタジオの改修。技術、美術の同期や仲間を頼って、限られた予算で高輝度照明と立体背景の一級品をそろえました。女性の肌がきれいに映るのはバックが白より濃い色、そして高級感を出すには立体感が必要ということでたどり着いた結論はレンガの壁。美術の倉庫に入れてもらい、「この壁使っていいですか?」と聞いたら、「それはさまぁ〜ず×さまぁ〜ずで毎回使っている」と言われ却下。その努力が実ったか?材料費だけで新規に作ってもらいました。 高輝度照明も某記者クラブで何年間も全く使われず眠っていたものを見つけてもらい、何度も何度も確認してから無償貸与してもらいました。 現在もアスクで現役なスタジオセットです。

スタジオのセット
■縦横のつながりが充実!
そしてソフト面は「縦と横のつながりの充実」です。各クラスは定員16人、「皆さんの名簿を配ることは個人情報管理の面からできませんが、お互いにアドレスを個人責任で交換するのは自由です、むしろ推奨します」 今でこそLINEというツールがありますが、メールしか無い時代にこの一言は大きく、ほぼ例外なくクラスごとにメーリングリストを作り一体感に一役買いました。 学校長メルマガも新規に開設しましたが、会員が500人を超えるとメール送信が安定せず、2グループに分けて送るという苦肉の策もやりました。

恒例のクリスマスパーティー
■自主トレ流行!
「自主トレルーム」をいつでも使えるのはアスクの大きな特徴。これを前面に押し出し、毎回の授業で「来るといいよ」と勧めると、やる気のある生徒がどんどん集まってきて、最後は自主授業まで始まりました。 内定者には「正直、来にくい気持ちもわかるが、あえて来てほしい」と声をかけると先輩・同期・後輩の自然な関係がより濃いものになっていきました。大学1年生が初めて恐る恐る自主トレルームにやってきたら、内定者や先輩アナウンサーがそこにいて、気さくに声を掛けてもらった、なんてことも実際にありました。

自主トレルームで自主授業
■楽しいイベント!!
イベントとサプライズ好きなのは相変わらずで、授業や自主トレを終えた後の「会費制食事会」の回数は数え切れず。アスク伝統の大クリスマスパーティーだけではもったいないと、春季花見大会と夏季浴衣パーティーも新規に開催。「内定者」が誕生した時の仲間を驚かせ共に喜ぶサプライズパーティーも、 生徒の強いつながりと努力で何度も何度も開催できました。

納涼浴衣パーティー
■講師は教え上手です
アスクは本当にテレビ朝日の現役アナウンサーが毎回教えてくれる学校です。 学校長として後輩アナウンサーが教える授業にほぼ全て立ち会いましたが、手前味噌ですが、みんな個性とハートがあって教え方が上手いです。これはアスクの伝統であり財産です。
■長い付き合いになりました!
内定したらそれでおしまいではありません。実は卒業後5〜6年経っているかつての多くの生徒と、系列を越えて今もよく連絡を取っています。 アスク学校長として全力で駆け抜けた2年間でしたが、生徒に教えていたつもりで、実は多くの事を生徒から教わりました。
合格者が飛躍的に増えました!
3代目テレビ朝日アスク校長〔2010-2013〕/田原 浩史
■無我夢中でしたが…
テレビ朝日アスク15周年おめでとうございます。
早いもので昨年7月に校長を退任してから、間もなく1年になります。 アナウンス部から6人目、2010年4月から3年4ヵ月間、校長としてスタッフの皆さんに一番長くお世話になりました。ありがとうございました。この期間は無我夢中でしたが、今となっては、何物にも代えがたい宝物となりました。
この時期にアスクは大きく変化し、アナウンサー合格者数が飛躍的に伸びました。アスクには、顔春った(がんばった)生徒が、それほど多く集まっていたという証です。

勉強会を度々開催しました
■プレッシャーと仕事に忙殺
私が着任した時に、「今度の校長先生は大変ですね。今の実績を上回らなくちゃいけないから」と、内定している生徒から思わぬプレッシャーをかけられました。当時47人のアナウンサー合格者を出し、「アナウンススクールに行くならアスク」といわれるようになってきていたからです。
予想以上の強烈なプレッシャーと、初めて取り組む学生の指導に、てんてこ舞いの毎日でした。着任した4月は記憶がほとんどないほど忙殺されました。次から次へと相談に来る学生への対応と講師の手配。自分でも授業を担当していたので、気が付くと報道ステーションのエンディングが聞こえてきて、慌てて帰り仕度をする毎日でした。朝コンビニで買って来たランチが、夜9時を過ぎても机の上にあって、そのまま持ち帰ったことが何度もありました。

ラウンジで勉強する学生たち
■二足のわらじは大変
当時は土曜日の夜12時からの「ニュース&スポーツ」も担当し、校長業と「二足のわらじ」でした。
★多忙を極めた、ある週末。
○土曜日 朝9時半〜夜8時半まで3コマの授業。
夜9時〜深夜1時まで「ニュース&スポーツ」の準備、放送、反省会。
○日曜日 朝10時〜2コマの授業。20時頃終業。
土日の2日間で3日分働きました。この週は全部で13コマの授業をこなし、へとへとでした。
そんな毎日を通じて、生徒たちとも心が通い始めました。そして、「生徒のためになることは、どんなことでもしてあげよう。たとえ嫌われることがあっても、アスクを選んでくれた生徒のために全力を尽くそう」と決めました。その結果つい厳しい指導となってしまい、反省しています。
そのお詫びというわけではありませんが、節分の日に、赤鬼になりました。 試験が終わって意気消沈している生徒のうっぷん晴らしのために行った「豆まき」。飛んでくる豆の痛さと、大笑いする生徒の笑顔は忘れられません。私へのうっぷんも、少しは晴れたでしょう。

赤鬼になった田原校長
■転機で飛躍を加速!
アスクにとって大きな転機となったのは、六本木校舎への移転です。青山からテレビ朝日が見えるビルに移転し、真新しい教室で、環境も気分も一新しました。それを機に、新たな取り組みをたくさん始めました。今でこそ、アスクでは当たり前になっている事のほとんどが、この時期に始まったものです。元アナウンス部長の堀越さんが社長に就任したのも、この年です。たった一人で学生の指導に当たっていたので、本当に心強くなりました。
■同期のつながり
今や系列を越えて、多くの局がアスクで勉強会を開いていますが、第1回の講師に来てくれたのが、当時のメ〜テレ松井秀アナウンス部長です。同期入社で一緒に研修を受けた仲間です。勉強会がここまで発展する最初の一歩は、同期の「つながり」でした。本当に感謝しています。
■内定が100人を突破!
アナウンサー採用試験は、私にとっても、自分を試されている試験でした。生徒がうまくいかないと、自分まで否定されたような気持になり、苦労を乗り越えて内定した時は、涙が出るほど嬉しく思いました。生徒と一緒になって挑戦し、試行錯誤を繰り返し、なんとか内定にこぎつけました。生徒のおかげで、初年度のアナウンサー合格者67人、翌年65人、3年目は83人。3年間で215人のアナウンサーを輩出することが出来、これまでの実績を飛躍的に伸ばすことが出来ました。全ては、生徒の顔春り(がんばり)によるものです。 3年目は総合職20人と合わせると100人を突破する合格者が誕生するほどになりました。

テレビ朝日内定直後の久冨慶子さんと宇佐美佑果さん
■アスク生の絆
アスクの生徒が、お互いに支え励まし合い、顔春る(がんばる)姿を思い出すと、いまでも胸が熱くなります。 閉館時間まで、ずっとラウンジでESを書いていた人たち。 声を掛けて集まっては、後輩の相談にのっていた先輩内定者。 私に試験の報告に来ては、大粒の涙を流した生徒たち。 そんな涙を、いったい何リットル受け止めたことでしょうか。

手書きの卒業証書を渡しました
私はたいしたことはしていません。(自分で言うのも、どうかと思いますが)生徒に「刺激」と「きっかけ」とを与え、「支え続けた」だけです。私の言葉を糧として、自力で夢を叶えた皆さんに敬意と感謝の気持ちでいっぱいです。
卒業式には、その気持ちを「卒業証書」に書いて渡しました。アナウンサーとは別の道を選んだ人でも、「それでもアスクに来て良かった」と思ってもらえたら、これ以上の幸せはありません。
3年4ヵ月の間お世話になったスタッフの皆さん、アスクに来てくれた生徒の皆さん、講師として力になってくれた皆さん、心から感謝いたします。これからのテレビ朝日アスクのさらなる発展と、アスクに通う全ての方に幸せな未来が訪れますように。
【新たに始めたもの】
2010年 9月 自主練習の会「アスク部」発足。初回30人が参加
11月 第1回「無料勉強会」開催。名古屋のテレビ局
12月 新校舎へ移転
2011年 2月 アナウンサー内定者懇親会(翌年から「アスク卒業式」へ)
ノート「受け継ぐ心・伝える言葉」
5月 BS学生キャスターのオーディション開催
6月 就職セミナー「ニュース見学」と「ランチ懇親会」
7月 「関西アスク部」発足
10月 「出陣式」60人が参加
2012年 2月 実況チーム結成
5月 「新聞の読み方勉強会」開催 120人が参加
6月 「女性アナウンサーによる髪型・服装・メイク講座」
7月 宮澤結弦さんによる「出張メイク・フォトスタジオ」